2007年06月06日

[目撃] 吉野家

小島信夫とそっくりな老人が牛丼を食べていた。
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2007年05月25日

[訃報] 大庭みな子

「三匹の蟹」で芥川賞、作家の大庭みな子さんが死去
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/breview/53390/

残念なニュースである。ここ10年間は脳梗塞の後遺症で半身不随の生活を送られていた。昨年亡くなった小島信夫とも旧知の仲で、「抱擁家族」の続編となる「うるわしき日々」の新聞連載を薦めたのも彼女であった。ご冥福をお祈りします。

それにしても、作家が亡くなった際の新聞見出しにはなぜ「芥川賞作家」や「直木賞作家」といった決まり文句ばかりが躍るのだろうか。例えば大庭みな子は芥川賞以降も谷崎潤一郎賞、野間文芸賞、読売文学賞、川端康成文学賞と、純文学の王道たる重厚な受賞経歴を誇っているにもかかわらず、やはり「芥川賞作家の〜」となる。知名度の違いであるということは重々承知した上で僕は言いたい。単なる新人賞のひとつでしかない「芥川賞」という名前に付随する様々な思惑や思慮が、それ以降の作家の功績や作品性に対する注目を弱化させ、読者が「本当の代表作」に触れる機会を奪っている恐れがないだろうか。

そういえば小島信夫が亡くなったときの見出しも「芥川賞作家の小島信夫さん死去」だった。谷崎潤一郎賞、芸術選奨文部大臣賞、日本文学大賞、日本芸術院賞、野間文芸賞、読売文学賞を受賞した作家小島信夫氏が死去、とは決してならない。
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2007年05月21日

[読了] 殉教・微笑


キリシタンの女に想いを寄せる賤しい番所の捕方が、狂気めいた一途なその女の俵詰め殉教を物語る「殉教」。小児麻痺児を持つ父親の屈折した心情を伝える「微笑」。他に「アメリカン・スクール」(芥川賞)「小銃」「吃音学院」「星」「憂い顔の騎士たち」「城壁」「愛の完結」収録。寓意性と微妙なユーモアの醸す小島信夫の初期作品九篇。 (裏表紙)
初期の代表的な短編を集めた短編集。収録作は以下のとおり。

:: 小銃(昭和27年12月「新潮」) ※昭和27年下半期芥川賞候補
:: 吃音学院(昭和28年8月「文学界」) ※昭和28年下半期芥川賞候補
:: 星(昭和29年4月「文学界」)
:: 殉教(昭和29年6月「新潮」) ※昭和29年上半期芥川賞候補
:: 微笑(昭和29年7月「世潮」)
:: アメリカン・スクール(昭和29年9月「文学界」) ※昭和29年下半期芥川賞受賞
:: 憂い顔の騎士たち(昭和30年4月「知性」)
:: 城壁(昭和33年9月「美術手帖」)
:: 愛の完結(昭和31年12月「文学界」)

初期の代表作がずらり。どれも一度読み通しただけではなかなか評価することが難しい。注目すべきは昭和29年の精力的な執筆活動であろう。この短編集に収められたものだけでも、「星」「殉教」「微笑」、そして「アメリカン・スクール」。これほど濃密な作品を毎月のように発表していたことに驚きを禁じ得ない。観念への忠誠から生まれる悲劇を流麗な筆致で描いた「殉教」が、個人的にはベスト。「憂い顔の騎士たち」も良い。この物語に登場する若者たちは、悩むことを何より美徳であると考えている。しかし悩みを打ち消そうにも、うまく行くわけがない。悩みに実体がないのだから。悩むという行為そのものが目的化している有様は、もはや悲哀を通り越して滑稽ですらある。街の城壁が忽然と消えてしまうという「城壁」のSF的な世界観は、村上春樹との近似を感じる。村上春樹は小島信夫の初期短編を好んで読んでいたという話を、いつかどこかで読んだような気がする。また、彼は「若い読者のための短編小説案内」という著作においても、小島信夫の短編「馬」を取り上げている。「読み解くにはかなり厄介な作品で、一筋縄ではいかない」とことわりながらも、様々な角度から小島信夫的な小説作法の考察と分析を試みている。
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2007年04月27日

[読了] ハッピネス

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[Amazon: 初版 / 文庫 / 短篇集成]
さりげなく過ぎる日常の時間の、反覆と推移の中に、文明について、社会について、男と女について、独自の主知と感性が織りなす作品世界が結晶。小島文学の熟成を示す最新短編小説集。 (帯)
短編集。収録作と初出誌は以下のとおり。

:: ハッピネス(すばる 1973年9月・13号)
:: 山へ登る話(群像 1970年1月号)
:: 小さな神様(群像 1970年2月号) ※「多角経営」改題
:: 二度の訪問(群像 1970年3月号)
:: 美わしの涙(群像 1970年4月号) ※「美わしき涙」改題
:: あいびき(群像 1970年5月号)
:: よもつひらさか(群像 1970年6月号) ※「ヨモツヒラサカ」改題
:: 石遊び(群像 1970年7月号) ※「危険な関係」改題
:: モグラのような(群像 1970年8月号) ※「挨拶」改題
:: ワラビ狩り(群像 1970年9月号) ※「ある日、町を出て」改題
:: わんこソバ(文芸 1972年1月号)
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2007年04月17日

[読了] 夫のいない部屋

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[Amazon: 初版 / 短篇集成]
団地は窓から目ざめる。いつも誰かに見られている団地妻がたまたま出会った旧知の男。白昼の部屋はやがて密会の場所へ。互いの傷にふれあうオトナの情事!ホロにがい情事小説! (帯)
エンターティンメントふうの作品とは何であるのか?エンターティンメントふうのものの方が、お前のは読めるではないか?こういう問いには、筆者は沈黙することにしよう。そのかわり、古い作品で欲がふかいかもしれぬが、表には出ない哀しみを読みとってもらえれば、どんなにうれしいだろう、とだけはいっておくことにする。 (あとがきより抜粋)
短編集。収録作は以下のとおり。

:: 夫のいない部屋
:: アメリカを買う
:: デイトの仕方
:: 教壇日誌
:: 受験シーズン
:: カメラ遭難せず
:: R宣伝社
:: 花と魚

「ホロにがい情事小説!」という帯のコピーが必要以上に目立つような気がして、電車内で読むのは少々憚られたのだが、ブックカバーをつけることで解決した。些細な問題である。収録作はすべて面白かったが、もっとも印象に残ったのは「カメラ遭難せず」。乗っていた船が遭難するという緊迫したシチュエーションでありながら、主人公の二人のやりとりにはユーモラスな妙味がある。「カメラ遭難せず」「R宣伝社」「花と魚」等においては、被害者と加害者を隔てているものの危うさ、また信頼と裏切りを隔てているものの危うさについて考えさせられる。
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2007年04月13日

[読了] 一寸さきは闇

issunsaki.JPG [Amazon]
いつも他者の似絵として振る舞い、しかもそうすることによってしか実在感を確かめ得なくなった一組の夫婦と夫の愛人。これら三人の奇妙な共存と、猥雑な愛のくらし。著者第二の小説風戯曲と関連エッセイ「あの戯曲といたあいだ」及び、「金曜日の夜十時」を併録。 (帯)
わずか1日で読了。正直あまり物語にのめり込むことができなかった。小島信夫は小説の「地」の文が圧倒的にユニークであり、また小説という形式でしかすくえない表現を徹底的に追求した作家である。それゆえ、ほとんど会話のみでストーリーが進行していく戯曲というフォーマットにおいて、小島の筆はやや硬化しているように思えてならない。作者の思うままに主人公を動かすことのできる「小説」の世界とは違い、「戯曲」ではそこに演じる人が実在するわけで、“舞台上で実現可能なものでなければならない”という基本的制限がある。本人も巻末のエッセイで触れているが、そのルール下でどれだけ小島信夫の世界を展開できるのかという、ある種トライアル的な面もあったのだと思う。
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2007年04月12日

[読了] 各務原・名古屋・国立

kakamigahara.jpg [Amazon]
淡々と語られる老夫婦の哀切な日常
「生きてゆくこと」の深淵を描き出す傑作連作小説集 (帯)
「老小説家・小島信夫」に縁のある三つの土地、各務原、名古屋、国立で語り始められる連作小説集。記憶障害をもつ妻「アイコさん」との生活を中心に紡がれてゆく日常と回想。淡々とした中に上質なペーソスとユーモアに包まれる傑作作品群。 (裏表紙)
巨編「別れる理由」以降、小島信夫の小説はメタ・フィクション的な色合いがより濃くなったのだという。この連作小説「各務原・名古屋・国立」にも、実在する人物が多数登場する。そして、講演なのかエッセイなのか小説なのか、読者にははっきりとわからない。それらを相互嵌入させることで、小島はストーリー全体を静かに振動させているようだ。

何のきっかけもなく本文途中で一人称から三人称へ、はたまた三人称から一人称へとめまぐるしくすり替わる作者の視点。さらに動作の主体が一点に留まらないので、読者の意識は常にブレ続け、混乱し、酩酊する。「小説」とはここまで大胆にその枠を拡げられるものだったのか。

「名古屋」の最後では、読者と老作家(すなわち小島信夫本人である)によって、小説「女流」についての質疑が展開される。先日読み終えたばかりの作品ということもあり、非常に興味深い箇所であった。登場人物にそれぞれモデルが実在したことを知る。女主人公の菅野満子=由起しげ子、不倫相手の甲田良一=小島勇(小島信夫の兄)、そして物語の語り手である甲田の弟・謙二=小島信夫本人なのだという。

小島邸とその周辺の土地を丹念に描く「国立」の筆致は、枯淡の味わいなどという世界とはまったく無縁の瑞々しさであり、特有のゴツゴツした文体もやがて心地よい律動に思えてくるから不思議だ。執筆当時の作者はすでに85歳を超えている。

坂の上に建つ自宅については「すべてにわたって無責任」と語る一方、「やるべきことは、すべてやっている!」と心の中で叫ぶ。その小島の叫びは「抱擁家族」の三輪俊介の叫びと強く結びつき、共鳴している。
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2007年04月11日

[読了] 女流


『女流』を読むと、時代を超えて二十前後の男性が年上の女性に恋する感情こそ、人の恋愛感情の最たるものであるらしいと感じるのであって、そういう意味でも、この日本では稀な恋愛小説は、やがて永遠のベストセラー的な存在になってゆくものと信じている。 (解説より抜粋)
永遠のベストセラーどころか、単行本も文庫本も絶版なのが切ない。もっとも「女流」に限ったことではなく、小島信夫の膨大な著書の大部分は、現在絶版状態である。作者の死後も著書復刻に対する具体的な動きは、残念ながらほとんど見られない。よって、作品を読みたければ図書館へ足を運ぶか、古書店をまめにチェックするしかないのだ。

幸運にも文庫版の「女流」を入手することができ、一気に読み終えた。「抱擁家族」より肩の力を抜いて気楽に読めたように思う。小島作品の難解で近づきがたい印象とは裏腹に、この親しみやすさは意外ですらあった。
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2007年03月18日

[読了] 抱擁家族


妻の情事をきっかけに、家庭の崩壊は始まった。たて直しを計る健気な夫は、なす術もなく悲喜劇を繰り返し、次第に自己を喪失する。無気味に音もなく解けて行く家庭の絆。現実に潜む危うさの暗示。時代を超え現代に迫る問題作、「抱擁家族」とは何か。谷崎賞受賞。 (裏表紙)
初めて触れた小島作品。崩壊していく家族の形、病に蝕まれていく妻の姿、欠落していく父性。重くシリアスな展開のなかであっても、「どうしてあなたはいつも〜なのよう」という妻の台詞が出現するたび、その語感からある種のおかしみが滲み出る。小島信夫の文学は難解だと言われている。僕は作品に込められた作者の意思やコンセプトを十全に理解することはできないかもしれない。だけど僕は僕なりの方法で小島信夫の文学にアプローチしていきたいと思う。
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