2008年09月17日

[読了] 釣堀池

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人間関係の危うさ、不透明さを凝視し、柔軟な感性と澄明な文体で関係の混沌に光をあて、現代文学の尖端、宗教的境地に到達した中短篇集。 (帯)
短編集。収録作品は以下のとおり。カッコ内には初出を示した。

:: 釣堀池(新潮・1963年11月)
:: 泣く話(新潮・1975年1月)
:: 歩きながらの話(文藝・1974年9月)
:: 人探し(新潮・1971年1月)
:: 仮病(新潮・1971年11月)
:: 雨を降らせる(小説中央公論・1961年4月)
:: ガリレオの胸像(自由・1961年1月)
:: 船の上(群像・1960年7月)
:: 季節の恋(別冊文藝春秋・1960年3月)

それまで単行本に収録されなかった中短編の寄せ集めなので、やや地味な印象があるのだろうか、古書市場で軒並み価格が高騰し続けている小島信夫のカタログの中でも、この「釣堀池」の人気はいまひとつのようである。しかし僕はどの作品にも新鮮な魅力を感じたし、作家の変節と頑迷さを知る意味でも見過ごすことはできない作品集ではないかと思う。

各収録作の初出を確認すると、最も古い「季節の恋」が1960(昭和35)年3月、最新の「泣く話」は1975(昭和50)年1月。約15年という長い期間を横断している。ともすれば、1968年から1981年まで雑誌「群像」に連載された「別れる理由」という異様な"カオス"に呑み込まれ、忘れ去られてしまうかもしれなかった優れた短編群が、創立間もない作品社によって拾い上げられ、このように編纂されたことは、われわれ未来の読者にとってこの上ない幸運であったと言わざるを得ない。事実、小島信夫本人も「釣堀池」に収録された9篇に関して「どんなことを書いたかは勿論のこと、書いたことさえもほとんど忘れられていた」と、あとがきの中で述べている。

表題作の「釣堀池」は、同時期に書かれた「十字街頭」と並び、後の名作「月光」へと連なっていく重要な作品である。僕はそれらを"西田天香もの三部作"と勝手に命名してみたが、そもそも小島作品にはもれなく他作品との繋がりや重なりが存在するゆえ、あらゆる"括り"はすべて乱暴になってしまう。少年の同性愛を取り扱った「ガリレオの銅像」では、爽やかさの裏に蠢く"不確か"な感情が、独特の不透明な感触を読者に与える。著者がロックフェラー財団の招きで渡米した際の体験が基になっていると思われる「船の上」も、他者に対する極端なまでの神経質さがえぐり出されていて興味深い。「季節の恋」では、処女が持ち得る清潔な観念性と障害を抱えた肉体との相克が、漠然と奇妙な読後感を残す。どこか「微笑」や「吃音学院」を読み終えた際のそれに近い。河出新書版「微笑」(1955年)のあとがきの中で著者は以下のように述べている。
私はもともと歪んだ「肉体」というものを書いて、心との間におこる落差を大にしている。時にその歪みと落差は余りにはげしくて、読者にとって楽しいものではないかも知れない。
ちなみに「釣堀池」に収められた9編の中で、小島信夫本人は「歩きながらの話」がお気に入りとのことだ。
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2008年06月25日

[読了] 小説修業

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[Amazon: 初版 / 文庫]
いま、なにを考え、どのように小説を書けばいいのだろう?ふたりの現役作家が生と死、科学と哲学、百年前の小説とこれからの小説をとことん問いかけ合う往復書簡。 (単行本・帯)
真摯に小説を向き合う二人の作家による、読み、書くためのことばの往復。小説にとって、最もたいせつなこととは? (文庫版・帯)
僕くらいの年齢で「小島信夫を愛読している」と言うと、保坂和志がきっかけであると思われることが多いのだが、実際、僕は保坂氏の小説をほとんど読んだことがなくて、おそらく「プレーンソング」と「猫に時間の流れる」を通読したのみであるように思う。もちろん小島信夫を敬愛し、親密な付き合いをされてきた方で、近年の"小島信夫再発見"という潮流(というほどの流れでもないが)を生み出すきっかけとなった作家であることは知っている。

文庫化にあたり保坂氏によるまえがきと、「あとがきにかえて」というあとがきが追加された。「あとがきにかえて」では小島信夫が亡くなった以降、保坂氏が各誌に寄稿した追悼文がまとめられている(氏のホームページでも一部読むことができる)

小島信夫が書く「小説」と「書簡」にどれだけ違いがあるというのか。この書簡集においても例外ではなく、途中で「小説」を読んでいるような気分になってくる。しかしそれに気付く瞬間を、読者は当たり前のものとして楽しんでいる。小島信夫の文章に接触する際の、たしなみ、のようなものかもしれない。また、巻末には二人が並んで談笑している写真が掲載されているのだが、なんともいえない"ほのぼの"とした雰囲気で、まさに「盟友」とでも言えそうな風情である。

初出誌は「一冊の本」2000年1月号-2001年3月号。「往復書簡 日々のレッスン」というタイトルで連載された。
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2008年06月16日

[読了] 暮坂


深い洞察とユーモア。人生を軽妙に語る、作家の自在なまなざし。 (帯)
「群像」に3ヶ月おきに掲載された連作もの。単行本化の際、「暮坂」と「承前」は1作品としてまとめられた。収録作は以下のとおり。

:: 羽衣(1992年8月号)
:: 殺祖(1992年11月号)
:: 自娯(1993年2月号)
:: 鴛鴦(1993年5月号)
:: 蓬莱(1993年8月号)
:: 聖骨(1993年11月号)
:: 暮坂(1994年2月号・5月号『承前』改題)
:: 野晒(1994年8月号)

特異かつ複雑に張り巡らされた小島世界を俯瞰すると、この「暮坂」という連作小説は、往年の作品群を結びつける重要な接点(ブリッジ)の役割を果たしているように思える。様々な物語がここから出発し、ここへ帰着してくる。まるで目まぐるしく電車が発着する都心のターミナル駅のようだ。例えば「美濃」の世界は、「暮坂」の"そばきり"という存在を経由して、「各務原・名古屋・国立」へと向かう。「静温な日々」の老夫婦は、「暮坂」という駅から乗り込もうとする"息子"の存在に戸惑いと恐怖を覚え、その苦悩はやがて傑作長編「うるわしき日々」へと連なっていく。また、この物語には「月光」に登場したような新興宗教まがいの教祖的人物もいるし、胡散臭い自己啓発セミナーに通う老夫婦の姿もあるし、あのX氏もいる。そして水上勉、後藤明生、庄野潤三、大岡昇平、森敦など、相変わらず多彩な作家たちも物語を横切っていく。荒唐無稽、天衣無縫、魑魅魍魎な、いつもどおりの小島信夫が素知らぬ顔でそこにいる。この錯雑とした小島世界に身を任せることこそ、読書の享楽であると断言するのはいささか危険すぎるだろうか。

「聖骨」のとあるシーンが印象に残っている。人間のあらゆる健康を司るらしい"聖骨"の存在がクドクドと「非科学的」に語られるのだが、実際にベッドで横になった作者の"聖骨"の位置を探し当てるのは、最新鋭の「科学的」マシンであったという場面である。
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2008年05月23日

[岐阜] 小島信夫展

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岐阜に生まれ、『アメリカン・スクール』で芥川賞を受賞。
常に新しい姿勢で「小説」と対峙し続けた作家、初の回顧展。
■会期:平成20年6月13日(金)〜12月25日(木)
■会場:岐阜県図書館1階企画展示室
■料金:無料
かねてから噂のあった「小島信夫展」ですが、ついに開催決定です。
これはなんとしても行きたい。昔、各務原に出張して以来の岐阜行きとなりそう。

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posted by ノジマコブオ at 00:00| 雑談

2008年05月20日

[読了] 墓碑銘


日米混血の日本兵、その壮絶な自己喪失の過程を描く。 (帯)
アメリカ人の父親と日本人の母親の許に生まれたトーマス・アンダーソンこと浜仲富夫。日米開戦を機に、日本人として生きることを強いられる。坊主頭で国民服を着、剣道を習い、国策映画では悪役アメリカ人を演ずる。そして入営。青い眼の初年兵は、異父妹への想いを支えに、軍隊生活のつらさに耐える。山西省から米兵と対峙するレイテ島に転進。極限状況の中でアイデンティティを問う、戦争文学の白眉。 (裏表紙)
主人公の「私」は日本人ハマナカトミオであり、アメリカ人トーマス・アンダーソンである。アメリカ人の外見を持つ日本兵としての苦悩、ときに激しく振幅する感情は、ついに脱走を試みるまでに至る。しかし異父妹である良子との相姦以降、何かが吹っ切れたように、迷いなく「日本人」としての呼吸をしはじめる。

物語の終盤、浜仲が軍隊手帖に英文で書き綴ったらしいメモが驚くべきスピード感と衝撃を持って我々の前に提示される(気がつくと僕はその場面を息を止めて読んでいた)。小隊が壊滅状態となり「ハマナカ、カイサン」という上長の言葉から当てのない逃避行、唐突に訪れるラストシーンはあまりに哀切な名場面だ。浜仲の最後の叫びは、すでに日本人として呼吸をしていたはずの「ハマナカトミオ」という存在意義を一挙に解体させるショッキングなものであった。この物語を通してハマナカの心と身体を通り過ぎていったものは何だったのだろう。何が変わったのか。何も変わってはいないんじゃないか。すべてが振り出しに戻っただけなんじゃないか。

その他、個人的に強く印象に残ったのは、朝丸という名の軍馬と、その朝丸を寵愛する神岡という男である。戦いの最中、隊長から馬を殺す命令が下り、神岡は「すこしも躊躇せずに」射殺して海へ沈める。その神岡も爆撃で破片となる。それぞれが物語から無雑作に退場していく様は、「日本軍=馬、米軍=戦車」という対比とあいまって、どこか象徴的ですらある。

よもや朝丸は五郎ではあるまい・・・。
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2008年05月10日

[雑談] 百年の「執拗さ」

おなじみの古書店・百年へ。あまり時間がなく福永武彦を一冊だけ購入しようとレジへ持っていくと、店主がおもむろにレジカウンターの上を指し示すではないか。・・・ん?いったい何が?

なんとそこには堆く積まれた小島信夫の新入荷の束!お店に入ったときには置いてなかったのに!実は店主は入店する僕の姿を見て「ちょうどいいときに来た!」と思ったらしく、カウンターの中に置いてあった小島信夫の束を、わざわざカウンター上に移動したのだ。

「すごいですね!」
「入荷したばかりなので、まだ値付けしてません」
「わ!こ、こ、これはすごく欲しいです!」

風速30mクラスの鼻息で僕がその束から抜き取ったのは「X氏との対話」。ただでさえ入手困難な小島信夫の単行本の中でも、そのレア度はAクラスである。店主は「これは5,000円以上の値は付けさせて下さい」と言い、僕は「いや、むしろ5,000円以下で店頭に並んでたらみんな即買いしますよ」と言った。

僕は常連扱いされるほど百年に通い詰めているわけでも、たくさん買い物しているわけでもないのだが、来店する度に小島信夫の棚の前に仁王立ちとなり、薄笑いを浮かべながら品定めをする気色悪い姿や、「コジマノブオ...コジマノブオ...ふふっ」と呪文のように呟きながら店内を闊歩する不気味な体裁から、おそらく僕が狂信的な小島信夫ファンであることを店主は否応なく認識されたのではないか。

そのような経緯もあり、今回のように店頭に並ぶ前の新入荷本を気軽に見せていただいたり、小島信夫をめぐる古書事情についてお話させていただく機会が増えた。素直に嬉しいことである(値段が値段ゆえそれほど気軽に小島信夫を買うことができず恐縮なのだが)

百年の小島信夫の充実ぶりは、いまや通販専門のハーフノート・ブックスと肩を並べるものがある。リアル店舗でこれだけ良質なコンディションのものを数多くストックしているお店はなかなかないだろう。そして今日お話させていただき、なぜ他の古書店には小島信夫がほとんど入荷しないのかわかった。百年の店主が相当な覚悟で仕入れしているからだ。あれは並みの気合ではない。そして相当な覚悟で仕入れた本を、相当な覚悟で購入する顧客(僕含む)がいるからだ。小島文学の魅力は、どこか読者と根気比べをするような徹底的な「執拗さ」にあると感じるが、ある意味、百年店主と購買客の間にも同様の「執拗」な関係性を見出す事ができるのではないだろうか。
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2008年03月04日

[読了] アメリカン・スクール


文壇を惑乱し、陶酔させた異才。その出発点。
芥川賞受賞の表題作を含む初期短編集。 (帯)
アメリカン・スクールの見学に訪れた日本人英語教師たちの不条理で滑稽な体験を通して、終戦後の日米関係を鋭利に諷刺する、芥川賞受賞の表題作のほか、若き兵士の揺れ動く心情を鮮烈に抉り取った文壇デビュー作『小銃』や、ユーモアと不安が共存する執拗なドタバタ劇『汽車の中』など全八編を収録。一見無造作な文体から底知れぬ闇を感じさせる、特異な魅力を放つ鬼才の初期作品集。 (裏表紙)
今年復刻された短編集。収録作は以下のとおり。

:: 汽車の中
:: 燕京大学部隊
:: 小銃
:: 星
:: 微笑
:: アメリカン・スクール
:: 馬
:: 鬼

一部の収録作品は既読の「殉教・微笑」(講談社文芸文庫)、「小銃」(集英社文庫)といった短編集と重複している。「小銃」「アメリカン・スクール」は今回で3度目、「星」「微笑」は2度目の通読となる。芥川賞受賞作「アメリカン・スクール」の面白さが、少しだけわかりはじめてきたような気がする。

小説というのは過程を楽しむものとはよく言われることだが、小島信夫の小説は見事にそれにあてはまる。面白いのだ。再読しても単純に面白いのである。再読に耐えうる作品の「完成度」を問題にしているのではない。どういった尺度で彼の小説の「完成度」を語ればよいのか僕には皆目わからない。ただひとつ確実に言えることは、たとえ結末を知っていたとしても何度でも面白く読めてしまう不思議な魅力がどの作品にも横溢しているということである。そして結末らしい結末がないという作品の性格によって、彼の小説は陳腐化を逃れているという見方もできる。
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2008年03月01日

[雑談] 「別れる理由」の復刻はあるのか

久しぶりに中野ブロードウェイ2Fの古書だるまやへ。森敦「鳥海山」の初版・帯付が500円だったので購入。解説はもちろん小島信夫。残念ながら小島信夫の著作は一冊も見当たらず、店主に「以前お邪魔したときに小島信夫が何冊かあったと思うんですが」と訊くと、「最近小島信夫は価格が高騰していて市場でもなかなか買えない」ということである。そういえば、ここ最近小島信夫の入荷が相次いでいる吉祥寺・百年の店主も「仕入れが高いから利益率は悪いんです」と言っていた。講談社文芸文庫あたりから各作品が復刊されればだいぶ価格も落ち着くだろうとは思うが、現状ではラインナップはあまりに乏しい。小島ファンの戯言であることは重々承知しているが、埴谷雄高の「死霊」が復刻できたのだから、講談社には「別れる理由」の復刻についても前向きに検討してもらいたいものである。どちらにせよ小島信夫の著作をコンプリートしたいのであれば、あらゆる労力を惜しまず、また蓄財を大胆に注ぎ込む覚悟が必要であることは間違いない。
posted by ノジマコブオ at 00:00| 雑談

2008年02月28日

[雑談] 百年の入荷が気になって

吉祥寺「百年」店主のブログにて、またもや小島信夫が入荷したことを知り、反射的に吉祥寺へ猛ダッシュしたい衝動に駆られるものの、商品の値付けが終わり店頭に並ぶまでには少々時間がかかるであろうと冷静に考えることにした。直接お店に電話をかけて状況を問い合わせるのも、入荷の報にいちいち興奮して取り乱しているかのようで(実際そうなのだが)どこか決まりが悪い。通り掛かりに立ち寄ってみると偶然小島信夫が入荷していて・・・というくらいのさりげなさを装うのが大人の余裕を感じさせて良いのではないかと思う。
落札品のなかに小島信夫の束あり。うほ。売れてしまった『別れる理由』全三巻揃い、いま最も入手困難な『菅野満子の手紙』、『菅野』とセットで読みたい『女流』、これも即売れだった『美濃』など迷っていたら後悔するタイトルばかり。入荷が難しい本なのでほんとに迷わないでね。
即売れだった「美濃」を即買いしたのは他ならぬ僕なのであるが、今後ますます自分にとって百年という古書店の存在感が大きくなりつつあることを、僕の中の「ノジマコブオ」は本能的に感じている。

今日2月28日は小島信夫の誕生日。
posted by ノジマコブオ at 00:00| 雑談

2008年01月21日

[重症] パーキング

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駐車場で「満」という字を見ると菅野満子を思い出してしまう。
posted by ノジマコブオ at 00:00| 雑談