2009年07月11日

[新刊] 未完の小島信夫 - 続報の続報

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いよいよ「未完の小島信夫」発売日となった。

池袋西武のリブロにはそもそも期待していないが、案の定入荷しておらず、帰宅後に Amazon で検索。在庫を確認し、早速注文を済ませたところである。
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2009年07月03日

[新刊] 未完の小島信夫 - 続報

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当初は6月下旬の配本が予定されていた「未完の小島信夫」だが、いよいよタイトルから"仮"も外れ、満を持して7月11日頃に発売されるようである(情報元:水声社blog
中村邦生+千石英世
「未完の小島信夫」
四六判296頁/定価=2500円+税
ISBN978-4-89176-736-5 C0095
装幀=宗利淳一
小島文学は、いつも新しい。
なぜ、いまなお私たちは小島信夫に魅了されるのか?
作家と評論家が縦横に語りつくす等身大の魅力とその実像。

*小島信夫との発掘対談も併録!
still alive=未完。禍々しい表紙が素晴らしい。屹立する鉄塔、頭上に張り巡らされた送電線、なにものかを見つめる小島信夫の眼差し、側頭部・・・。心がざわざわしてくるではないか。未公開対談も貴重なアーカイブとなるだろう。
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2009年06月04日

[新刊] 未完の小島信夫

先月末に開設された水声社blogによると、6月下旬に小島信夫関連の新刊が出る。
中村邦生+千石英世
『未完の小島信夫』(仮)
四六判上製296頁/定価=2500円+税
ISBN 978-4-89176-736-5 C0095
同社から一昨年に刊行された小島信夫「小説の楽しみ」「書簡文学論」の企画・構成を担当された両氏による共著。図書新聞に掲載された対談も収録されるのだろうか。既刊情報となるが、今年4月には御大・坂内正氏による評論「小島信夫―性 その深層と日常」(近代文芸社)も発売されている。「未完の小島信夫」も「性 その深層と日常」も読んでみたいとは思うのだが、いかんせん価格が高いので二の足を踏むことになる。
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2009年06月03日

[品切] 1Q84

村上春樹の7年ぶりの長編小説「1Q84」が爆発的に売れているらしい。

新宿の紀伊国屋書店では完売。池袋のリブロでは第1巻が売り切れ、第2巻は人目を避けるように平台の隅に何冊か積まれているのみ。「ハルキの新作?どうせ途方もない部数が売れるんだろうからイニシャル入荷数も多いんでしょ?山積み山積み、いつでも買える買える」と余裕に構えていたらこのザマである。完全に油断した。たしかに村上春樹の小説は面白い。大好きだ。しかし彼の作品は本質的に<売れる小説>ではないと思うのだが、おそらくそれは初版を買いそびれた僕の負け惜しみである。

というわけで、傷心の僕はいま小島信夫「演劇の一場面」と、坪内祐三「『別れる理由』が気になって」を読んでいる。社会党の牛歩戦術なみのスピードで読んでいる。
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2009年03月29日

[寄稿] 志賀直哉読本

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吉祥寺・百年にて文芸臨時増刊「志賀直哉読本」を購入。発行は昭和30年(1955年)と古く、また紙質も粗雑なので傷みが激しいのが気になったが、315円という安さならば致し方あるまい。

志賀直哉×川端康成×小林秀雄×丹羽文雄という豪華すぎる対談がハイライトだろうか。また多くの作家・評論家が志賀作品について、あるいは志賀直哉という人間像について原稿を寄せているのだが、その中でも小島信夫の原稿が格別に面白かった。志賀直哉を「小説の神様」と無条件に崇める世間への違和感を表明しているのだが、それは志賀文学に対する畏敬の念と嫉妬心の裏返しだろうと思われる部分が見え隠れしていて、その警戒心を隠さないネチネチした(褒め言葉である)小島信夫らしい原稿を読むだけでも購入する価値は充分あると思う。

それにしても現在の百年の売場はすごいことになっていて、小島信夫と後藤明生がせめぎあうように並んでいる棚の周辺には、どこか近づきがたいほどの異様な気配が漂う。手を伸ばして本の背を持ち上げることさえ憚られるような均衡と調和が感じられるほどである。
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2009年02月07日

[購入] 私の作家評伝II

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下北沢の「ほん吉」にて捕獲。初版。
こんな名著が店前店頭の100円棚に吹きさらしとは!

すでに「作家評伝」は3巻セットで所有しているにもかかわらず、
小島信夫の著作を格安で見つけると、購入せずにはいられない。
老後のためのスペアだと思うことにしよう。読む用と保存用だ。

「作家遍歴」も良いけれど、もちろん「作家評伝」も面白い。
少しだけつまみ読みしてみようと適当にページを開いたが最後、
そのまま時間を忘れて読み耽ってしまう暴力的なまでの面白さ。
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2008年11月29日

[岐阜] 小島信夫展と堀江敏幸講演会

東京から高速バスに乗り、岐阜県図書館にて開催中の小島信夫展に行ってきた。

同じ岐阜出身の作家、堀江敏幸氏による講演「小島信夫の作風について」に参加。それにしても会場である多目的ホール内が寒すぎる。極寒である。まずは青木健氏が本日の講演者である堀江氏を紹介する。雑誌で実現した小島×堀江対談では、岐阜市出身の小島信夫が西濃代表で、多治見市出身の堀江敏幸が東濃代表といった様相だったらしい。また、生前の小島氏は堀江氏の作品が各文学賞を受賞するたびに「あの人は"賞男"だね」と嬉しそうな顔で話していたそうだ。原稿を用意してしゃべることに対しての違和感を宣言することから講演はスタート。「何を話そうかあらかじめ考えておくということは、ある意味小島さんに対する裏切りでもある。思いつくままに話し続ければ、いずれ『小島信夫の作風について』というテーマに繋がっていくかもしれません」。そう堀江氏は静かな口調で話す。

明大理工学部の教員時代のエピソードと小島組の存在。その小島組の中にかつて「小島さんは雑談できない人だ」と語った人がいたらしい。つまり、会うとすぐに文学の話をする人だった、と。小島さんの話を聞いただけで、まるで自分が小説を書いた気になってしまう。そう思わせる不思議な力があるのだという。また、堀江氏は自ら「小説家」という肩書きを名乗ったことがないらしい。「作家」という言葉との違いについては詳しく語られなかったが、自分は広義の「物書き」であるという認識だろうか。小島信夫のように本質的な「小説家」を前にして生まれた、ある種の謙虚さのような感情がそこには含まれているのかもしれない。

芥川賞の話題へ。僕は知らなかったのだが、芥川賞候補にノミネートされる段階で、作家本人に「候補にしますがよろしいでしょうか」と確認の連絡が来るのだという。堀江氏は「熊の敷石」で第124回芥川賞を受賞したわけだが、岐阜出身者では小島信夫「アメリカン・スクール」以来、40数年ぶりの快挙だったそうで、その件について小島氏のもとにも取材が舞い込み「ご迷惑をおかけした」と堀江氏は述懐する。そして芥川賞受賞記念パーティーに御大・小島信夫が出席するということになったのだが、そのとき5分程度、立ち話をしたのが堀江×小島の初対面であった。小島氏は壇上で多治見のうどん屋がいかに卑劣で不親切かという話を延々と30分以上語り続け「そんな多治見出身の堀江さんはとても良い人である」と結んだ。このスピーチの場面は小島信夫晩年の名作「各務原・名古屋・国立」にも登場するのだが、堀江氏はてっきり録音したテープから文字起こしして引用するのだろうと思っていたらしく、実際に掲載されたものを読んでみると、書いてあることが実際と全然違う。しゃべっていないことも書いてある。これはいったいどういうことなのか。しかし、動揺する堀江氏の一枚上手を行く小島氏は、なんとその小説の中で長々と引用したスピーチの内容について「虚構化」を宣言してしまう。これらのあらましについては、「水声通信 -小島信夫を再読する-」に堀江氏が寄せた論文の中でも言及されていたと記憶する。車谷長吉の例を挙げるまでもなく、モデル小説やメタ小説という分野には常に他人を傷つけてしまうリスクがあり、最悪の場合、訴訟問題に発展してしまうこともある。かつて小島信夫の周辺でも個人レベルのイザコザがあったそうだが、堀江氏は「登場人物として作中に描かれるのは、こんな感覚なのか」と、いたく感動したという。

堀江氏の講演は進む。「5分間の立ち話」から月日は流れ、いよいよ1対1での対談が実現することになり、小島氏の地元である国立の鰻屋がその対談場所に指定された。堀江氏はタクシーに乗り、目的地を目指すも、運転手から「行きにくいところだからここから歩いて行け」と言われ、車から降ろされてしまう。ようやく鰻屋に辿り着き、対談がスタートした。対談を終えてから食事という流れが通例なのだが、小島氏の希望で食べながら対談ということになった。フルコースである。小島氏はとにかくよく食べ、よく飲む。堀江氏も負けじと頑張るがとても追いつけない。そのようなハイペースゆえ、1時間と経たないうちに小島氏には酔いが回り、まともに喋ることができなくなってしまった。雑誌の対談コーナーを埋めるには尺が足りない。小島氏いわく「あとはまかせた」。これは換言すれば「言ってないことを書け」ということである。堀江氏は多分にフィクションの要素を書き足し、なんとか原稿を仕上げることができた。

そのときのエピソードを思い出しながら堀江氏は次のように語る。小島氏の「あとはまかせた」も作風である。実は酔いつぶれる前に重要なポイント、対談の本質はしっかりと語り尽くしている。「あとはまかせた」は一見投げやりなセリフのようだが、実は先々まですべて見通しているんじゃないか。つまり、堀江氏がどれほど腐心して原稿をまとめ上げるのか、最終的にどのような記事が完成するのか「試して」いたのかもしれない。そういうコワい部分が小島氏にはあった(このときの対談の模様は雑誌「新潮」2002年5月号に、「われらが『小説』作法」というタイトルで掲載されている)

小島氏は堀江氏に対してアドバイス(のようなもの)を与えている。書くことが浮かばなければ「リアルタイムの出来事」を書いて虚構に入り込ませればいい。例えば、原稿を取りに来た編集者の足音が家の外から聞こえてきたことを書けば、その場で3行くらいは埋まるだろ、と。言うまでもなく、執筆に際して入念な「準備」を行う作家は多い。だが小島信夫はそのような方法をとらなかった。「あらかじめ考えて書けることなんかないんだから」「第1章はコレ、第2章はコレ、という書き方をして君は楽しいか?」

果たして若い読者は小島信夫の「創作の裂け目」を読んでいるのではないか。ここで堀江氏は連作短編集「ハッピネス」に着目する。収録された「モグラのような」という作品(※発表時タイトルは「挨拶」)では、今月は何も書けない、と作者自ら小説に書いてしまった。ここで現実が虚構に入り込んできて、創作の裂け目が生まれている。また「ワラビ狩り」という作品(※発表時タイトルは「ある日、町を出て」)は、やがて変形して「別れる理由」の中の1エピソードとして取り込まれていく。「別れる理由」は12年間に渡って文芸誌に連載された原稿用紙4000枚を超える大長編であり、世界文学史的に見ても稀有な作品のひとつであるが、「ハッピネス」に収録された作品は、短編に収まり切らずにやがて「別れる理由」へと移行するのだが、それは同時に「別れる理由」誕生前夜の初期微動とも言える。

まったく淀むことなく話し続ける堀江氏。次に「季刊藝術」創刊号に掲載されたアメリカ抽象画についてのシンポジウムを引き合いに出す。そこでの小島信夫の発言は「オオキイですよね。その大きさは文学に引き寄せてみるとわからなくもない」といった漠然としたもの。他の参加者がマクロだのミクロだの小難しい話をしているなか、すべて自分のフィールド(文学)の話へ引き寄せて展開させてしまう。文学における拡大・縮小という概念。小島信夫はミクロの事柄を拡大して書く。それ自体はもう抜群に面白い。だけどそこからいったん離れて、少し「引き」で見渡してみると、途端に何が書いてあるのかよくわからない。全体の中でどの位置を示しているのか判断できなくなってしまう。我々が小島信夫の小説を読むたびに何が書かれていたか忘れてしまうのは、この歪んだ「遠近法」が読者を困惑させるからではないだろうか。

しかし、ここで僕はふと思う。小島信夫という作家は常に「ぜんたい」を書こうと試みた作家ではないのか。「引き」で全体を俯瞰したときにわけがわからないのでは、それは作者の意図と反するだろうし、もっと言えば小説として破綻しているのではないだろうか、方法論として間違っているんじゃないか、と。しかし堀江氏は次のように言うのである。「成功したかどうかはわからない。小島さんはそういうやり方で書いただけなのです」。

さらにそのシンポジウムの中で小島氏は「余る」という感覚についても触れているらしい。「最近書きたいと思うことは『余る』ものばかり」「余った部分を余っていないように書くのが小説家の責任というものである」といった発言からは、初期作品からの作風の変化と、創作の裂け目ともいうべき部分が発生していることが読み取れよう。前述の「ハッピネス」と同様、この対談にもやがて来るべき「別れる理由」という地殻変動に向かう兆候が表れている、と堀江氏は分析する。

現在、小島信夫文学賞の選考委員を務めている堀江氏だが、生前の小島氏が「俺が死んだらあいつ(堀江氏)に回せ」と言ったとか言わないとか。堀江氏は「死せる小島、生ける堀江を動かす」と呟き、今回のテーマである「小島信夫の作風」についても、拡大・縮小や遠近法など、これからさらに考えていく必要がある。また、そのように考えさせるのが小島氏の目的なのかもしれない、と結んだ。

※講演の模様は翌日の岐阜新聞に掲載された。
「芥川賞作家・堀江敏幸さん、小島文学の魅力語る」

講演会が終わり、企画室の小島信夫展をじっくり観覧した。ちくま文庫の「チェーホフ全集(5)」の表紙に、小島信夫本人が鉛筆で"秀作"と書き記していた。この文庫に収録されている「廣野」という作品を小島氏は「小説の楽しみ」の中で絶賛している。その他、おびただしい数の付箋や傍線や挟み込まれたメモが鮮烈に印象に残った。小島氏から保坂氏に宛てて出されたハガキ(2004年)が追加展示されていた。どうやら展示開催後に保坂和志氏から提供があったようで、目録には記載がない。「別れる理由」最終回の原稿と封筒を見ると、封筒には鉛筆で宛名が書かれていた。これが12年続いた歴史的大長編のラストシーンの裏側かと思うと、思わず吹き出しそうになってしまう。書見台には生前最後に読んでいたと思われる「同時代」(第3次・第20号)が、そのままの状態で置かれていた。
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2008年11月21日

[役員] 小島信夫

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2008年10月23日

[読了] 小説の楽しみ

kojima_shousetsu.JPG [Amazon]
小説はどこまで自由なのか?
現代文学最高の担い手である著者・小島信夫が、<小説>をめぐって語り尽くす。
小島ファン待望の語り下ろし。 (帯)
全国1万人の(おそらくそんなにいない)小島信夫読者必読の書「水声通信No.2〜小島信夫を再読する」でおなじみの水声社から、昨年12月に小島信夫の作品が2冊同時刊行されたことは記憶に新しい(ノジマ家の購入時のドタバタ

水声文庫というシリーズだが、大きさは四六版。小島信夫の地元である国立ロジーナ茶房にて、2005年4月から6月まで3度にわたって語り下ろされた貴重な小説論(のようなもの)である。語り下ろしのためか、文章は全体的に柔らかく読みやすいが、その内容は骨太で一筋縄ではいかぬ手応えがある。

小島信夫という人物を知らない人は、随分と愚痴の多い老人だな、という印象を持つだろうか。ともすれば不快感を覚えるかもしれない。江藤淳の姑息さ、森敦の自己顕示欲、意地悪な川村二郎、海上雅臣の自惚れ。しかし、小島信夫の賢明な読者ならば、それらの愚痴にも小島流の解毒が確実に施されていることにたやすく気付くことだろう。

第1章の「『別れる理由』の現代的意味」という論考は、著者自らが「どうしてああいうことをしたのか」説明を試みる興味深い内容になっている。「失敗作であることを小説の内部から宣言する」作品を書いてしまった恩恵として、様々な想像力のアウトプットの方法が自由に使えるようになった、と著者は語る。確かに「別れる理由」以前と以後の作品を読み比べてみると、小説としての枠組みも、ひいてはあの独特の文体さえも孤高のものとして確立されている。筆力が違う、迫力が違う。そういった観点から観れば「別れる理由」は大傑作なのか失敗作なのかという議論はそれほど重要なことではないのかもしれない。

もつれたりほどけたりしながら流れていく著者の小説論に読者は次第に没入し、小説・評論・エッセイといった境界線のない小島信夫という磁界に飲み込まれていく。しかし、本書の一番最後に登場する「ここまでにしておきましょう」という唐突な台詞に、ふと我に返る思いがした。あ、そうだ、これは語り下ろしだった、と。「小説修業」の中でも、保坂氏が「ここまでにしておきましょう」という一言について触れていたように記憶しているが、多分に小島信夫的な口ぶりであり、思わず吹き出してしまいそうになる。

意識的な反段取り的方法。無意識なポストモダン。「別れる理由」を中心とした自作解説として、また、秀逸なカフカ&チェーホフ論としても楽しめる一冊である。
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2008年10月06日

[読了] 美濃

mino.JPG [Amazon: 初版 / 文庫]
今こそ<故郷>に声をかけねばならぬ気持にかられる作者の、頑是ないほどに可憐な心情!<美濃>の過去と現在が交錯する風景の中に登場する、作者とその友人たちの分身。自由奔放に展開する物語は全く新しい手法の「故郷小説」であり、同時に作者の「自画像」である。 (帯)
岐阜県図書館で開催中の小島信夫展、11月に行くことに決めた。そうそう何度も足を運べる土地でもないので、どうせなら堀江敏幸氏の講演会に参加してみようと日程を合わせた。そして、名作の誉れ高き「美濃」はあらかじめ読んでおかなくてはなるまい、と読み始めることにした。「美濃」を購入した日のワクワクした気持ちは忘れられない。あれからだいぶ時間が経ってしまったが、小島信夫の小説はいつだって最初のページを繰る瞬間は気分が高揚する。

先日読み終えた単行本「釣堀池」に収録されていた短篇「ガリレオの胸像」。この作品の直筆原稿が、岐阜の古書展に出たらしい。「私の作家評伝」の挿絵を描く平山草太郎は、風呂で倒れて意識不明になった際にも絵筆を中空に走らせていた。「いらんこと聞かんでもええ」と、文学的フンイキを拒絶した古田(小島信夫)の母親。出番は少ないながらも、「月山」の作者である林貢(森敦)の存在感はギラリと光る。電話での古田との会話の途中、林に別の電話が入る。電話を切らずにそのまま待つように古田に告げ、林は離席する。林が戻ってくるまでの間、古田は篠田賢作との「各務支考」についての議論を思い出す。拡散していく思考。「美濃」が連載されていた雑誌『文体』の編集に携わっていた古井由吉も登場する。登場するといっても、他人の話の伝聞の形である。なぜ古井は本名なのか。飛び降り自殺の巻き添えをくらい、重傷を負った古田は入院することとなり、この物語からセミリタイアすることになる。そして語り部は祥雲堂主人→祥雲堂若主人と変遷する。矢崎剛介と篠田賢作、岐阜にまつわる両詩人の不仲。古田の文学碑建立にまつわる諸問題。矢崎・篠田・古田の3者のやっかいな感情は物語の最後にほんのわずかではあるが変節することになる。

「美濃」を最後まで読み終え、僕の頭の中に散らばっていることを、思いつくまま書き連ねてみた。全く面白い小説に思えないのは、言うまでもなく僕のせいだ。不正確な記述もあると思う。それにしても、上で列挙したエピソードをどんな順序で並び替えようとも、「美濃」という小説は成立してしまうことは驚異的だ。どこから読み始めても構わない。なのに、そこには序章から終章まで厳然とした「連なり」がある。特筆するほどトリッキーな小説的手法が用いられているようには思えない。しかしもうなにがなんだかわからない。

「岐阜的なもの」とはなにか。答えは混沌としている。
posted by ノジマコブオ at 00:00| 読了