2010年03月24日

[翻訳] 小島信夫の翻訳 / 小島信夫を翻訳



小島信夫が翻訳を手がけたことでも知られるバーナード・マラマッドの短編集「レンブラントの帽子」が、昨年設立されたばかりの夏葉社という出版社から、5月上旬に出版される。1975年に集英社から刊行されていた同書の復刊らしい。税込1,680円と値段も手頃だ。楽しみに待ちたい。

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翻訳といえば、小島信夫の小説は現在どれだけ海外で読まれているのであろう。ふと気になり、Amazonの洋書カテゴリを覗いてみたところ、英語版とドイツ語版の「抱擁家族」を発見した。小島信夫特有のあのギクシャクした文体はどのように訳されているのだろうか。意外とスッキリ読めそうな気もするのだが。

Embracing Family (英語)

Fremde Familie (ドイツ語)
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2010年01月07日

[読了] 小島信夫 性−その深層と日常

kojima_sakauchi.jpg [Amazon]
多年そば近くにあった著者が小島文学の核心に迫る!
中・長篇をはじめ殆どの作品の案内・評論。 (帯)
出生→出征→出世まで、文学界に小島信夫という巨人が出現するまでの過程がコンパクトにまとめられている。小島信夫にまつわる膨大な出典の数々は坂内氏の文学研究ワークスの深さを示すものだ。また、カフカ研究の大家である氏ゆえ、小島作品におけるカフカからの影響を、わかりやすく具体的に指摘しており、とりわけ「島」について言及するパートは鮮烈の一言。
posted by ノジマコブオ at 00:00| 読了

2009年11月07日

[読了] 残光(新潮文庫)

kojima_zanko_bunko.JPG [Amazon]
九十歳作家の遺作、そして最高傑作!
「アメリカン・スクール」「抱擁家族」の著者の文学的到達点がここに。 (帯)
最高傑作かどうかはもちろん読む人それぞれが決めることであるが、死ぬまでペースを落とすことなく旺盛な作家活動を続け、いわゆる「余生」など皆無だった作家ゆえ、遺作となったこの小説が文字通り小島文学の「到達点」であるという見方は間違いではないだろう。

今回の「残光」文庫化は快挙といっていいと思うし、講談社文芸文庫よりも気軽に手にとることができる新潮文庫のラインナップに加わったことは、小島信夫の一読者として素直に嬉しく思うのだが、ささやかな不安がないといえばウソになる。起承転結整理整頓品行方正な現代小説に読み慣れた読書は、冒頭の2〜3ページを読んだだけで、レトリックの破綻&メタメタな暴走っぷりに「なんだこりゃ?」とそれ以上ページを繰ることをやめてしまうかもしれない。たとえば30ページのこの箇所。
・・・小島信夫はそんなこといっていたんでしょう」
と山本夫人はいったと思う。
と小島信夫は法政大学の大学院研究棟の七階でいった。
あるいは218ページのこの箇所。
・・・なるほど、となっとくがいく。というようなことが、私の記憶では『菅野満子の手紙』で、今まで活字になったところでいわれている、と筆者(わたし)が書いておいでです。
該当箇所を書き写しながら再読している僕も正直いってわけがわからない。ゴツゴツして読みにくく、頭にすんなり入ってこないこれらのレトリックは小島信夫ファンにとっては当たり前のお約束であるが、初めて小島信夫に触れる読者にとっては「残光」はハードルが高いようにも思う。誤解しないでほしいのだが、僕は小島信夫を読む人の特権性についてあれこれ言っているのではない。小説というものは誰に対しても常に開かれたものであり、どんな読者をも拒むことはないということは承知の上で、あえて彼の作品を楽しむためには、読み方の「コツ」とある程度の「慣れ」が必要であると断言するのだ。

池袋駅構内は、JR線・地下鉄各線・西武線・東武線それぞれの利用者の動線が全く定まっておらず、制御不能の無秩序状態である。誰もが異口同音に歩きにくいと言う。しかしそれはつまるところ「コツ」と「慣れ」の問題なのだ、と池袋駅利用歴14年の僕は思う。あるときは強行に人々の流れに逆らい、またあるときは流されるまま流されてみる・・・。小島信夫の文学は決して「右側通行にご協力下さい」というタイプのものではないのである。

足下がおぼつかなくなり自宅近くで転倒して頭が血だらけになった作者が、助けに来た娘さんに抱きかかえられながら唐突に“小島信夫文学賞の審査員に「大庭さん」や「保坂さん」を推挙する”と話す場面が第一章にある。頭部を強打したことが原因のうわごとなのかと思いきや、小島信夫は“娘には私が何をいっているのか全く分からないということは知っていながら”発言しているのだ。ある種の深刻さの中に突如として挿入される滑稽さ。その構図は、風呂で倒れて意識不明になった平山草太郎が倒れながらも絵筆を中空に走らせていたという「美濃」の一場面を想起させる。

第二章は、保坂和志氏とのトークイベントをきっかけとした過去作品の「読み直し」作業が中心となる。その中でも大きくページは割かれていなかったが、短篇「天南星」についての作者の発言が印象に残った。「この小説は気に入る方にぜんぜん入っていなかった。ところが、読んでいるうちにこれはたいへん魅力的な作品であるような気がして、どうして今そういう気がしてきたのか、考えてもよく分らない」。そこで僕は講談社文芸文庫「小島信夫後期作品集」を久しぶりに本棚から抜き取り、後ろの方に収録されている「天南星」を読み返してみたが、これはズバリ面白い小説であった。ちなみに「小島信夫後期作品集」は“自選”短篇集である。

第三章もしばらくは「読み直し」が続くが、程なく訪れるラストシーンで、「仏像のように何もかも動かな」い愛子さんを前に作者は落涙する。小島作品には主人公が泣く場面はそれほど多くないように思う。決して主人公が無感情というわけではないが、どこか主人公が自分自身を客体化しているような視線が常にあり、作者は安易に涙を流させることをしないのである。だからこそ、「残光」や「うるわしき日々」で見られる涙はあまりにも哀切で、重い。

あとがきでは「ぼくは出版社からまとまった長さの作品を約束させられた。ぼくは今を乗りきるために約束の小説をはじめるよりほかになかった。もはや妻には直接、手をさしのべることはないのだから」と述べる。長い作家生活の末に到達した境地、また小島信夫という難問に対する作者からの回答が、このセンテンスに集約されているのではないだろうか。

蛇足だが、文庫版解説はY・Tこと山崎勉氏が担当された。僕の予想は大ハズレであった。
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2009年10月28日

[読了] 演劇の一場面 -私の想像遍歴-

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演劇の謎。
自作戯曲の演出にも手をそめた著者が「オイディプス王」、説教「をぐり」、「ハムレット」からカントールに至る古今東西の演劇を逍遙しながら、<<軌道から外れ、軌道に復したときには予想しなかったものをまとってくる>>演劇の諸相を軽やかに考察する。 (帯)
少しずつ読み進めていたものの、中盤から終盤にかけてすっかり集中力を失い、しばらく放置していた本書であるが、えいやっと残りわずかのページを一息に読み通し、ようやく読了。ものすごい疲労感。収録内容は以下のとおり。

:: イプセンとチェホフ
:: オニール、ミラー、ウィリアムズ
:: カフカ、ドストエフスキー、「リア王」
:: アリョーシン「恋愛論」
:: 横浜ボート・シアター「小栗判官・照手姫」
:: カントール「死の教室」
:: 小栗判官伝説と「浅茅が宿」
:: 蜷川幸雄演出「オイディプス王」
:: ヴィゴツキーの「ハムレット」論
:: パロディとしての「ハムレット」
:: 「ペリクリーズ」
:: 「ハムレット」1〜9

その他、松本和也氏によるあとがき、近藤耕人氏と青木健氏が執筆した別冊附録も挟み込まれている。「演劇」という芸術形態を透過させた向こう側にある「小説」についての考察には興味深い部分もあるのだが、そもそも僕は演劇について造詣が深くないし、小島信夫の戯曲「一寸さきは闇」を読んでから、やはり「小説家」小島信夫以外への興味を失ってしまっているようである。
とくにナゾは解こうとも思わぬし、解けてしまうナゾは、つまらぬものなのかもしれない。もともと解く解かぬというようなことよりも、想像遍歴をするうちに、私の世界が狭まるかと思うと拡がり、拡がるかと思うと狭まるということをくりかえすことを楽しみたいのである。(本書150ページより)
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2009年08月18日

[読了] 未完の小島信夫

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小島文学は、いつも新しい。
なぜ、いまなお私たちは小島信夫に魅了されるのか?
作家と評論家が縦横に語りつくす等身大の魅力とその実像。
小島信夫との発掘対談も併録! (帯)
■第1章 対話篇I
::小島信夫と読書の来歴

■第2章 千石英世
::小島信夫ふたたび
::私であることのはじまり−−−−−「墓碑銘」
::死ぬと云うことは偉大なことなので−−−−−追悼・小島信夫
::小島信夫の小説と小説観−−−−−三島由紀夫との比較を通して

■第3章 対話篇II
::小島信夫をどう読むか?

■第4章 中村邦生
::小島信夫的なるもの
::小島信夫を引用すること
::小島信夫の<小島信夫的>な愉楽−−−−−それにしても、それだけだろうか
::「『別れる理由』が気になって」が気になって
::小島信夫による小島信夫の再発見−−−−−「残光」を読む
::困難さを信じること−−−−−追悼・小島信夫
::久しぶりにお便りを−−−−−「書簡文学論」への覚え書き

■第5章 対話篇III
::小島信夫の新たな光源

■第6章 小島信夫との対話
::小島信夫×千石英世 小島文学に見る小説空間
::小島信夫×中村邦生 漱石文学と<家族>

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坪内祐三氏の語り口と比べると、もっと硬質な、いかにも「ザ・評論」といった印象の本書であるが、決して難解なわけではない。第6章の蔵出し対談は貴重だが、やはり噛み合っているのか噛み合っていないのかわからぬ酩酊の味わい。小島信夫を「あとがき作家」と捉えた箇所はとびきり面白かった。
小島信夫の小説の単行本は、「あとがき」がおもしろい。これはどの作家にもありえないような「あとがき」ですよ。それ自体がけっして尻尾や盲腸ではなく、かといって作品理解のための補助線を引いているというわけでもなく、また解説ではあるけれどもそうでもないような、むしろ本文自体を撹乱させる「あとがき」。 (P132より一部抜粋)
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2009年07月16日

[読了] 『別れる理由』が気になって

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現代日本文学の最高傑作か、天下の奇書か!こんな破天荒な小説は見たことがない!毀誉褒貶の激しい小島信夫の家族小説『別れる理由』。刊行から二十余年、初めて本格的に論じられる根源的で異様な作品世界の全貌。(帯)
運良く署名本を入手することができた。今年6月5日に読み終え、もう一度じっくり読みはじめ、7月16日に2回目の読了。いまだソース元となる「別れる理由」を通読していない僕が、この種の作品論に目を通してしまうことついては多少なりとも複雑な気持ちがあった。ネタバレは回避できない。本来ならば「別れる理由」を通読してから読むのが正しい道筋ではないだろうか。そういったすっきりとしない心持ちを抱えつつ読み進めることになったのだが、この画期的な評論はいわゆる「虎の巻」でも「副読本」でもなく、さながら20年後の続刊「別れる理由IV」のように僕には感じられた。江藤淳の「自由と禁忌」によって、この大長篇小説をコンパクトに知る手がかりを与えられ、同時に「読む必要のない小説」であるという先入観を植え付けられてしまったと、著者である坪内祐三氏は述懐する。僕はまさに「『別れる理由』が気になって」によって、この化物小説をコンパクトに知ることができた。そして、原典を読んでいない読者には「答え合わせ」の楽しみが残されている。

坪内氏は講談社文芸文庫で小島信夫の著作を購入し、図書館にも行く。「正直に言おう。私は小島信夫のさほど熱心な読者ではなかった」と早々にカミングアウトする。彼は高名な「評論家」であるが、それ以前に僕たちと同じ「読者」であった。それにしても氏のような「読者」に読まれ愛される作品は幸福であるし、小島信夫も作者冥利に尽きるのではないだろうか。しかし「別れる理由」が不幸だったのは、リアルタイムの物語でありながらリアルタイムで批評されなかったことにあると分析する。あの江藤淳ですら連載中は「別れる理由」をスルーしており、単行本化された段階で初めて通読したらしい。坪内氏は江藤淳の鋭い文学的感性を認めながらも、きちんと「読まれていない」箇所については、容赦なく異議を唱えていく。

また、完結までに長い時間がかかった作品の一例として志賀直哉の名作「暗夜行路」を挙げ、「別れる理由」との違いを解説する場面が印象的であった。「暗夜行路」は一種の教養小説であり、小説世界の時間と執筆に費やされた現実の時間はお互い影響することはないという。それに対して「別れる理由」については「リアルタイムに近い時制で物語が展開して行く(小説世界が動いて行く)『別れる理由』は、その外部世界の時の経過の影響を受けながら、小説が、中途からはその定型を越えて、増殖して行く。いや、停滞して行く」と述べている。この「暗夜行路」との対比は実に有効で、明瞭かつ雄弁に「別れる理由」の本質を言い当てている。さらに「増殖して行く。いや、停滞して行く」という微妙にねじれたセンテンスも興味深い表現だ。

僕は小島信夫の小説を読んでいると、しばしば誰の発話か把握できなくなることがある。坪内氏は錯綜する言葉から主体を丁寧に読み解き、僕たちにわかりやすく説明してくれる。さらに、長大な物語のハイライトと併せて「難所」をしっかり教えてくれる。主人公の「夢くさい」世界が始まる第59章以降、登場人物が他者へと変容を繰り返しながら会話を続ける第60章以降と、第93章から第115章までが、通読を試みるたいていの読者が置いてきぼりになる難所とのこと。ただ目で文字を追うだけになりそうなそれらの箇所を精読し、解釈を加えて論じることは、並々ならぬパワーが必要だったはずだ。事実、ときおり連載を続けることが難儀であることを吐露する場面もある。しかしそれでも彼が連載をやめなかったのは、小島信夫が2003年1月に発表された短編「青ミドロ」内で、「『別れる理由』が気になって」について言及した一件が大きく影響しているようだ。「私は坪内さんが待ち遠しい、という思いもあります」と小島信夫に言われてしまったら、それはもう中絶するわけにはいかない。それにしても、「『別れる理由』が気になって」連載中のリアルタイムな時制にまで"小島信夫"が参入してくるとは、なんとメタ的な評論だろう。



ふと思い出したのだが、高橋源一郎は著書「文学なんかこわくない」の中で、「小説を論じるためには、元の小説の少なくとも二倍、概ね三倍以上の原稿量を必要とする」と書いていた。その驚くべき内訳は「元の小説+感想+もうひとつの小説」=「元の小説×3」。これが、小説の評論の唯一の「正しい」あり方なのだと断言し、その方法論を実践した数少ない例として挙げられたのが、小島信夫の「漱石を読む-日本文学の未来」であった。やや長いパラグラフになるが、高橋氏の論を引用する。
小島信夫という人は「漱石を読む-日本文学の未来」という本で夏目漱石の「明暗」を論じた。小島信夫という人は、「明暗」を最初からどんどん引用した。それから、それについて、どんどん論じた。しかし、いくら論じても止まらなくなっちゃった。(中略)そうこうするうちに、止まらなくなって、途中から小説になっちゃった。そういう具合に暴走して、「明暗」に戻れなくなって、他の作品を論じたりもしちゃった。その結果として、それは元の「明暗」より遥かに長い評論に、まるで弁当箱みたいにでっかい本になっちゃったのである(昔のいわゆる「ドカ弁」ね)。そして、「小島信夫、ボケちゃったんじゃないの」とか「面白い本だけど、長すぎる!」とかいわれた。だが、とタカハシさんは思う。あの本の唯一の欠点は、あれでも短すぎることなのだ。もちろん、小島信夫という人はそのことを重々承知しているはずなのである。
よもや「別れる理由」について、高橋源一郎氏の提唱する「×3方式」を実行しようとする人はいないだろう(死んでしまう)。しかし、この「『別れる理由』が気になって」という評論における坪内氏からは、まさにその領域に近づこうという気概が感じられるのである。初出は「群像」2002年5月号、7月号〜12月号、2003年4月号〜2004年3月号。
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2008年10月23日

[読了] 小説の楽しみ

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小説はどこまで自由なのか?
現代文学最高の担い手である著者・小島信夫が、<小説>をめぐって語り尽くす。
小島ファン待望の語り下ろし。 (帯)
全国1万人の(おそらくそんなにいない)小島信夫読者必読の書「水声通信No.2〜小島信夫を再読する」でおなじみの水声社から、昨年12月に小島信夫の作品が2冊同時刊行されたことは記憶に新しい(ノジマ家の購入時のドタバタ

水声文庫というシリーズだが、大きさは四六版。小島信夫の地元である国立ロジーナ茶房にて、2005年4月から6月まで3度にわたって語り下ろされた貴重な小説論(のようなもの)である。語り下ろしのためか、文章は全体的に柔らかく読みやすいが、その内容は骨太で一筋縄ではいかぬ手応えがある。

小島信夫という人物を知らない人は、随分と愚痴の多い老人だな、という印象を持つだろうか。ともすれば不快感を覚えるかもしれない。江藤淳の姑息さ、森敦の自己顕示欲、意地悪な川村二郎、海上雅臣の自惚れ。しかし、小島信夫の賢明な読者ならば、それらの愚痴にも小島流の解毒が確実に施されていることにたやすく気付くことだろう。

第1章の「『別れる理由』の現代的意味」という論考は、著者自らが「どうしてああいうことをしたのか」説明を試みる興味深い内容になっている。「失敗作であることを小説の内部から宣言する」作品を書いてしまった恩恵として、様々な想像力のアウトプットの方法が自由に使えるようになった、と著者は語る。確かに「別れる理由」以前と以後の作品を読み比べてみると、小説としての枠組みも、ひいてはあの独特の文体さえも孤高のものとして確立されている。筆力が違う、迫力が違う。そういった観点から観れば「別れる理由」は大傑作なのか失敗作なのかという議論はそれほど重要なことではないのかもしれない。

もつれたりほどけたりしながら流れていく著者の小説論に読者は次第に没入し、小説・評論・エッセイといった境界線のない小島信夫という磁界に飲み込まれていく。しかし、本書の一番最後に登場する「ここまでにしておきましょう」という唐突な台詞に、ふと我に返る思いがした。あ、そうだ、これは語り下ろしだった、と。「小説修業」の中でも、保坂氏が「ここまでにしておきましょう」という一言について触れていたように記憶しているが、多分に小島信夫的な口ぶりであり、思わず吹き出してしまいそうになる。

意識的な反段取り的方法。無意識なポストモダン。「別れる理由」を中心とした自作解説として、また、秀逸なカフカ&チェーホフ論としても楽しめる一冊である。
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2008年10月06日

[読了] 美濃

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今こそ<故郷>に声をかけねばならぬ気持にかられる作者の、頑是ないほどに可憐な心情!<美濃>の過去と現在が交錯する風景の中に登場する、作者とその友人たちの分身。自由奔放に展開する物語は全く新しい手法の「故郷小説」であり、同時に作者の「自画像」である。 (帯)
岐阜県図書館で開催中の小島信夫展、11月に行くことに決めた。そうそう何度も足を運べる土地でもないので、どうせなら堀江敏幸氏の講演会に参加してみようと日程を合わせた。そして、名作の誉れ高き「美濃」はあらかじめ読んでおかなくてはなるまい、と読み始めることにした。「美濃」を購入した日のワクワクした気持ちは忘れられない。あれからだいぶ時間が経ってしまったが、小島信夫の小説はいつだって最初のページを繰る瞬間は気分が高揚する。

先日読み終えた単行本「釣堀池」に収録されていた短篇「ガリレオの胸像」。この作品の直筆原稿が、岐阜の古書展に出たらしい。「私の作家評伝」の挿絵を描く平山草太郎は、風呂で倒れて意識不明になった際にも絵筆を中空に走らせていた。「いらんこと聞かんでもええ」と、文学的フンイキを拒絶した古田(小島信夫)の母親。出番は少ないながらも、「月山」の作者である林貢(森敦)の存在感はギラリと光る。電話での古田との会話の途中、林に別の電話が入る。電話を切らずにそのまま待つように古田に告げ、林は離席する。林が戻ってくるまでの間、古田は篠田賢作との「各務支考」についての議論を思い出す。拡散していく思考。「美濃」が連載されていた雑誌『文体』の編集に携わっていた古井由吉も登場する。登場するといっても、他人の話の伝聞の形である。なぜ古井は本名なのか。飛び降り自殺の巻き添えをくらい、重傷を負った古田は入院することとなり、この物語からセミリタイアすることになる。そして語り部は祥雲堂主人→祥雲堂若主人と変遷する。矢崎剛介と篠田賢作、岐阜にまつわる両詩人の不仲。古田の文学碑建立にまつわる諸問題。矢崎・篠田・古田の3者のやっかいな感情は物語の最後にほんのわずかではあるが変節することになる。

「美濃」を最後まで読み終え、僕の頭の中に散らばっていることを、思いつくまま書き連ねてみた。全く面白い小説に思えないのは、言うまでもなく僕のせいだ。不正確な記述もあると思う。それにしても、上で列挙したエピソードをどんな順序で並び替えようとも、「美濃」という小説は成立してしまうことは驚異的だ。どこから読み始めても構わない。なのに、そこには序章から終章まで厳然とした「連なり」がある。特筆するほどトリッキーな小説的手法が用いられているようには思えない。しかしもうなにがなんだかわからない。

「岐阜的なもの」とはなにか。答えは混沌としている。
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2008年09月17日

[読了] 釣堀池

tsuribori.JPG [Amazon]
人間関係の危うさ、不透明さを凝視し、柔軟な感性と澄明な文体で関係の混沌に光をあて、現代文学の尖端、宗教的境地に到達した中短篇集。 (帯)
短編集。収録作品は以下のとおり。カッコ内には初出を示した。

:: 釣堀池(新潮・1963年11月)
:: 泣く話(新潮・1975年1月)
:: 歩きながらの話(文藝・1974年9月)
:: 人探し(新潮・1971年1月)
:: 仮病(新潮・1971年11月)
:: 雨を降らせる(小説中央公論・1961年4月)
:: ガリレオの胸像(自由・1961年1月)
:: 船の上(群像・1960年7月)
:: 季節の恋(別冊文藝春秋・1960年3月)

それまで単行本に収録されなかった中短編の寄せ集めなので、やや地味な印象があるのだろうか、古書市場で軒並み価格が高騰し続けている小島信夫のカタログの中でも、この「釣堀池」の人気はいまひとつのようである。しかし僕はどの作品にも新鮮な魅力を感じたし、作家の変節と頑迷さを知る意味でも見過ごすことはできない作品集ではないかと思う。

各収録作の初出を確認すると、最も古い「季節の恋」が1960(昭和35)年3月、最新の「泣く話」は1975(昭和50)年1月。約15年という長い期間を横断している。ともすれば、1968年から1981年まで雑誌「群像」に連載された「別れる理由」という異様な"カオス"に呑み込まれ、忘れ去られてしまうかもしれなかった優れた短編群が、創立間もない作品社によって拾い上げられ、このように編纂されたことは、われわれ未来の読者にとってこの上ない幸運であったと言わざるを得ない。事実、小島信夫本人も「釣堀池」に収録された9篇に関して「どんなことを書いたかは勿論のこと、書いたことさえもほとんど忘れられていた」と、あとがきの中で述べている。

表題作の「釣堀池」は、同時期に書かれた「十字街頭」と並び、後の名作「月光」へと連なっていく重要な作品である。僕はそれらを"西田天香もの三部作"と勝手に命名してみたが、そもそも小島作品にはもれなく他作品との繋がりや重なりが存在するゆえ、あらゆる"括り"はすべて乱暴になってしまう。少年の同性愛を取り扱った「ガリレオの銅像」では、爽やかさの裏に蠢く"不確か"な感情が、独特の不透明な感触を読者に与える。著者がロックフェラー財団の招きで渡米した際の体験が基になっていると思われる「船の上」も、他者に対する極端なまでの神経質さがえぐり出されていて興味深い。「季節の恋」では、処女が持ち得る清潔な観念性と障害を抱えた肉体との相克が、漠然と奇妙な読後感を残す。どこか「微笑」や「吃音学院」を読み終えた際のそれに近い。河出新書版「微笑」(1955年)のあとがきの中で著者は以下のように述べている。
私はもともと歪んだ「肉体」というものを書いて、心との間におこる落差を大にしている。時にその歪みと落差は余りにはげしくて、読者にとって楽しいものではないかも知れない。
ちなみに「釣堀池」に収められた9編の中で、小島信夫本人は「歩きながらの話」がお気に入りとのことだ。
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2008年06月25日

[読了] 小説修業

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[Amazon: 初版 / 文庫]
いま、なにを考え、どのように小説を書けばいいのだろう?ふたりの現役作家が生と死、科学と哲学、百年前の小説とこれからの小説をとことん問いかけ合う往復書簡。 (単行本・帯)
真摯に小説を向き合う二人の作家による、読み、書くためのことばの往復。小説にとって、最もたいせつなこととは? (文庫版・帯)
僕くらいの年齢で「小島信夫を愛読している」と言うと、保坂和志がきっかけであると思われることが多いのだが、実際、僕は保坂氏の小説をほとんど読んだことがなくて、おそらく「プレーンソング」と「猫に時間の流れる」を通読したのみであるように思う。もちろん小島信夫を敬愛し、親密な付き合いをされてきた方で、近年の"小島信夫再発見"という潮流(というほどの流れでもないが)を生み出すきっかけとなった作家であることは知っている。

文庫化にあたり保坂氏によるまえがきと、「あとがきにかえて」というあとがきが追加された。「あとがきにかえて」では小島信夫が亡くなった以降、保坂氏が各誌に寄稿した追悼文がまとめられている(氏のホームページでも一部読むことができる)

小島信夫が書く「小説」と「書簡」にどれだけ違いがあるというのか。この書簡集においても例外ではなく、途中で「小説」を読んでいるような気分になってくる。しかしそれに気付く瞬間を、読者は当たり前のものとして楽しんでいる。小島信夫の文章に接触する際の、たしなみ、のようなものかもしれない。また、巻末には二人が並んで談笑している写真が掲載されているのだが、なんともいえない"ほのぼの"とした雰囲気で、まさに「盟友」とでも言えそうな風情である。

初出誌は「一冊の本」2000年1月号-2001年3月号。「往復書簡 日々のレッスン」というタイトルで連載された。
posted by ノジマコブオ at 00:00| 読了